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2012年05月19日

41年前の沖縄

沖縄本土復帰40周年式典が今週のトップニュース、野田首相は自衛隊機で日帰りとありました。

41年前、4回生だった私は友人4人で「沖縄旅行」を企画しました、初めての海外旅行を。

当時の「思い出話」に少しばかり付き合ってください。



暇はあるが金は無し、そこで関西汽船でゆく那覇3泊、船中4泊、合計7日間の旅。

参加者のほとんどは暇をもてあましている学生です。

飛行機なんて、当時はまだまだメジャーではなかったんですよ。

神戸港を昼過ぎに出航、その夜は室戸沖、翌朝には宮崎・日向灘沖を通過、鹿児島港へ寄港ののち

夜遅く奄美・名瀬入港、三日目の昼前にようやく那覇港到着。

それまで大阪近辺の海しか知らなかった私は、沖縄の海の青さは感動そのものでした。
 
  (九州に転勤になって、仕事で度々沖縄を訪れましたが、
         年々、海の青さが色あせてきています。非常に残念なことです。)



返還を半年後に控えて、道路は砂利道からアスファルトへ、車は右側から左側通行へ

建物は木造からコンクリートへと大改造中、それでも「国際通り」にはまだまだバラック小屋が

いっぱいありましたね。今では立派な国立公園になっていますが、守礼門、首里城跡なども

当時は見るに忍びないものでした。ひめゆりの塔、平和記念公園、沖縄資料館などの

パック観光コースを巡りましたが、学生だった私には何の感動も湧きおこりませんでした。
   (その後、何十年後に再び訪れてみると、涙が止まりませんでしたが....)



夜は夜で民族踊りを見ながらの沖縄郷土料理は正直言ってがっかり。

そこで、名も知れない「洋酒バー」にも飛び込んだりしましたっけ。

国内では何万円もする洋酒(確かHAIG)が、ボトルでたったの2~3千円でした。

当時あまり飲めなかった私は、当然割り勘負け。

おまけに、悪酔いしたらしく頭がガンガン、心臓がドキドキしだしたので、他の3人より

一足早く旅館へ戻る始末でした。


続きは次回にします。  

Posted by あごひげ at 14:23Comments(0)日記