2011年09月16日
お蚕さんの思い出
読売夕刊に「シルクと皇室」が連載されています。
特に、皇后様の「お蚕さん」に対する特段の思い入れにとても感慨深いものがあります。
父の転勤で広島・呉に住んでいた時代(S30年頃)、お隣さんは専業農家でした。
同級生がいましたので、お互いの家をよく行き来しました。
母屋横の別棟一階には農耕牛が、その屋根裏にはお蚕さんが飼われていましたっけ。
僕もお手伝いをさせてもらい、桑の葉を刻んではお蚕さんに食べさせてあげ、
天井裏からお蚕さんの食事中の音が今でも鮮明に思い出されます、シャリシャリと。
やがてお蚕さんはピーナツ型の繭に変化、それからがまた大変でした。
大きなタライに熱湯を注ぎ繭を浸けてふやけさせ、こびりついているゴミや不純物を取り除きます。
すると見事な純白の繭となり、乾燥した後にほぐして紡いで生糸の出来上がりです。
お駄賃にもらった「はったい粉」(きな粉と砂糖をお湯で溶いたおやつ)が美味しかったなあ~。
小学生低学年の頃、早くも「食い意地」を張っていた懐かしい思い出です。
特に、皇后様の「お蚕さん」に対する特段の思い入れにとても感慨深いものがあります。
父の転勤で広島・呉に住んでいた時代(S30年頃)、お隣さんは専業農家でした。
同級生がいましたので、お互いの家をよく行き来しました。
母屋横の別棟一階には農耕牛が、その屋根裏にはお蚕さんが飼われていましたっけ。
僕もお手伝いをさせてもらい、桑の葉を刻んではお蚕さんに食べさせてあげ、
天井裏からお蚕さんの食事中の音が今でも鮮明に思い出されます、シャリシャリと。
やがてお蚕さんはピーナツ型の繭に変化、それからがまた大変でした。
大きなタライに熱湯を注ぎ繭を浸けてふやけさせ、こびりついているゴミや不純物を取り除きます。
すると見事な純白の繭となり、乾燥した後にほぐして紡いで生糸の出来上がりです。
お駄賃にもらった「はったい粉」(きな粉と砂糖をお湯で溶いたおやつ)が美味しかったなあ~。
小学生低学年の頃、早くも「食い意地」を張っていた懐かしい思い出です。
Posted by あごひげ at 00:28│Comments(0)
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